伝統と芸術

雨の金沢を徒歩で散策しながら21美へ向かい
「金澤老舗百年展」を鑑賞してきました。



金沢で創業以来、
自らの研鑽を通じて市民の日常を支え、
物心の豊かさへと導いてきた老舗百年企業。



現在、当主として引き継いでおられる方々のお顔が目に浮かび、
改めて、その背中に背負う重責や、
綿々と受け継がれてきた気高き精神、
到底知り得ない情熱の深さに震える時間でした。



私の仕事は、このような企業様から仕事をいただき、
関わらせていただいているのだと思うと、
これまでの自分が恥ずかしく、自責の念を抱きました。
生半可な心持では、大変失礼なこと。

「伝統」を辞書でひくと、
「前の時代から受け継いだ風俗、制度、思想など。また、それを受け継ぐこと」とあります。

久谷焼の工程を表した絵図には、それらが事細かく記されていました。

「轆轤を廻すは陶器作り眼目にして すべて水の力と指の技術によりて 土は伸び縮みあるは瓢形(ひさごがた)に下蕪(しもかぶら)に皿となり鉢となる」

「すべて造化の妙作るにあらず生るゝなり」

「上繪錦窯彩色(うわえきんがまさいしき)は久谷の生命にして三度火神の洗禮(せんれい)を受けてここに初めて完成される」

デザインや技術、商いの手法は時代の変化とともに革新されていく。
それは確証のない挑戦の連続で、揉まれ晒され研かれ、終わりなき闘いでもある。

一方で、風土に根差した思想というものは普遍的なもので、
己の精神を鍛練することでしか受け継ぐことはできないのでしょう。
それは決して等価交換などできない、魂の美しさに他ならない。

本日も、多くの先人や先輩の皆さまからご指導いただき、
深い感動に包まれ、憧れを抱き、勇気を授かったことに感謝する一日でした。

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敬愛する方のご親族が彫刻作品を展示されていると知り、
15周年記念の企画展へ。

芸術は不思議です。
知らない誰かが創ったものに、なぜ私たちは
心を動かされ、閃きや、希望を抱くのでしょう。

人間が持つ最も素晴らしい働きのひとつは、
「共感」という互いが響きあう美しい作用で、
その作用によって、自分自身を発見しているのかもしれない。

「芸術は人民の魂のあらわれです」という言葉を思い出しました。

生み出す側も、観る側も、芸術を通して自分自身の魂を見つめている。






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