世界はうつくしいと~長田 弘

うつくしいものの話をしよう。

いつからだろう。ふと気がつくと、
うつくしいということばを、ためらわず
口にすることを、誰もしなくなった。
そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。

うつくしいものをうつくしいと言おう。

風のにおいはうつくしいと。
渓谷の石を伝ってゆく流れはうつくしいと。
午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。

遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。
きらめく川辺の光はうつくしいと。
おおきな樹のある街の通りはうつくしいと。

行き交いの、なにげない挨拶はうつくしいと。
花々があって、奥行きのある路地はうつくしいと。
雨の日の、家々の屋根の色はうつくしいと。

太い枝を空いっぱいにひろげる
晩秋の古寺の、大銀杏はうつくしいと。

冬がくるまえの、曇り日の、
南天の、小さな朱い実はうつくしいと。

コムラサキの、実のむらさきはうつくしいと。
過ぎて行く季節はうつくしいと。
さらりと老いてゆく人の姿はうつくしいと。

一体、ニュースとよばれる日々の破片が、
わたしたちの歴史と言うようなものだろうか。
あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。

うつくしいものをうつくしいと言おう。

幼い猫とあそぶ一刻はうつくしいと。

シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。

何ひとつ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、
世界はうつくしいと。



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